公益社団法人 十日町青年会議所 2014年度
第58代理事長
小山 大志
有限会社小山土木

基本理念
愛を知り、志を抱いた青年によって築かれる
「越後妻有」から始まる、総ての人が笑顔で向き合える社会の創造

スローガン
今を生き抜く覚悟はあるか!愛をもって志をなせ!
Making Japan’s No.1 Area Brand「ECHIGO‐TSUMARI」


理事長所信
 この地で生き抜いた先人を思う。
「広大な河岸段丘の大地、それらを切り開いた大河。雪深い四方の山々から流れ落ちる清流。四季折々、心を癒してくれる香りと共に風光明媚な自然は豊かな恵みをもたらしてくれる。この地なら我々は生き抜くことが出来る」と。この言葉は縄文時代草創期、この地に最初に降り立ったであろう先人の心を、私がこの地で生きてきた中で感じた想像です。振り返ることも出来ない太古の歴史は、主観的な考えから導かれ、生きることに対し前向きな力が必要だということを気づかせてくれます。
 そして、近代的な歴史は我々の未来を幸せにする為に、さらに前向きな力を湧き立てるとともに明確な道を導いてくれます。「質実剛健。齢七十三、残る人生のすべての力を振り絞って、町民の幸せと町の発展に尽くしたい。」1947年の4月。戦後、最初に民が選んだ十日町の首長である、中山龍次の言葉です。我々は、生き抜くためにこの地に辿り着き、住まう人々の幸せを願い、様々な困難にも立ち向かって、愛をもって行動し続けた先人に感謝しなければいけません。
 また、我々青年は未来永劫、生き抜くための確信できる道を切り開かなければならない。この地に住まう人々が幸せになることを願って。

【はじめに】
 私は、この地では生まれていない。1977年、東京都の下町で生を受けた。風呂もない4畳半の一部屋の中、家族4人で生活していた。手をつないで夜道を歩いて銭湯に行き、川の字になって寝た。幼き頃に家族を身近に感じ、温かみのある生活は今でも忘れることはない。そして人生を歩むうえで、道に迷った時に心のよりどころとして、生まれた地には幾度か足を運んで自分の存在を再認識したものだ。
 そんな私は、生まれた地からこの地には幼少期に移り住んだ。それまで隙間の無い住宅群と、車の往来が夜もやまない道路しか見ていなかったが、この地に移り感動した記憶が今も鮮明にある。四方にそびえる深緑の山々と、真夏のそよ風に揺れている稲穂とのコントラストが美しく、滔々(とうとう)と流れる大河信濃川は無数に点在する玉石と重なり、自然の力強さを感じさせ、何処からともなく聞こえる蝉の声と、都会では感じることのできなかった真夏の香りが心に安らぎを与えてくれる。そして、冬になれば環境は一変し、家の二階から出入りが出来る程の深雪、キラキラと輝く美しさと何処までも駆けられそうに思う永遠に続く白い台地。この地域の自然に出会った感動は今でも記憶に鮮明で、四季の移り変わりになると幼少期の頃に感動した自分を思い出す。今思うことは、その感動がこの地を愛することになったきっかけだったのだと感じます。この地域を愛した自分が、地域の為に何かをしたいという気概になることは言うまでもなく、出会ったのが「十日町青年会議所」(以下、十日町JC)です。
 青年会議所という組織は、1949年の9月という戦後間もない中、「新日本の再建は我々青年の仕事である」という宣言の基、政治経済の中心地であるがために、焼け野原となった東京から“明るい豊かな社会”の実現を理想として、次代の担い手たる責任感をもった20歳から40歳までの指導者たらんとする青年の団体として発祥しました。十日町JCは志を同じく1957年5月15日、26名の青年が集いこの地で設立しました。創立以来、“個人の修練、社会への奉仕、世界との友情”という有機的につながっている三信条は変わることなく、時代と共に新しい呼吸を続け、常に英知と勇気と情熱をもって脈々と青年たちに精神は受け継がれて60年もの歳月が経とうとしています。そして、今年度も新たな息吹と共に、創始から先輩諸氏が目指し続けた青年会議所の夢を叶えるために、2014年も全てにおいて我々会員(以下、JAYCEE)は身を捧げます。

【人生哲学をもって個人の成長を図る】
 自分は何者であるのか。そして何処に立ち、何処に向かおうとしているのか。この地域に住む人として、確固たる自己を確立している人は少ないのではないでしょうか。我々が明るい豊かな社会を目指す運動をするうえで、満たさなければいけない前提があると考えます。それは、自分の幸せが何なのかを知ることです。自分自身の生きることの価値観を明確にすることで、人生を歩むうえで幸せになる為の確固たる道が見えることでしょう。ただ、それだけではいけません。自分の幸せの価値観が、他者を不幸にしてしまうこともあります。その価値観による行動は回り巡り、結果的に自分を不幸にしてしまう事でしょう。その悪循環にならない為にも、愛の一つの要素でもある、日本人が太古の昔より森羅万象を心に感じ、精神に宿してきたとされる「思いやり」の心が必要なのです。「思いやり」とは、利他の精神、相互理解、為すべきことを為す、という3つの思考から成り立っていると考えます。自分に関係のある全ての「ひと」「もの」等に対して直接向き合い、幸せになる為に必要な全ての要素を身につけ、社会的な責任を自覚して互いを敬いながら、個人、家庭、地域、様々な環境において為すべきことを為していく。この行動ができるなら、明るい豊かな社会の実現、ひいては真の恒久的世界平和に必ずつながると信じます。

【愛をもって地域社会と向き合う】
 自分自身の幸せという概念が確立できたなら、次は愛する人の幸せを考えるはずです。その時に壁が立ちはだかります。社会を取り巻く環境です。この地域に住まう人々が幸せになるということはどういうことなのか。英知と勇気と情熱をもってJAYCEEは地域社会と向き合います。
 日本は、明治時代に欧米列強と対峙するために、社会の構造を変え中央集権体制をとり、経済大国になりました。しかし、その社会変革を支えたものは江戸時代から各藩が自立した経済、政治体制を基盤として、地域特性を活かした産業も充実し、さらには多少の格差はあっても寺子屋の教育形態もあり、教育水準が全体的に高かったことから成功した歴史がうかがえます。中央集権体制というものは、1947年に日本国憲法が施行されて、その法令である地方自治法から始まり、現在の行政区画に至っても続いています。ただ、社会の変化とともに官僚主導とされる体制も、住民の多様な価値観から生まれる願いに応えることが出来なくなりました。自分たちの地域の幸せは、自分たちで追求したいという自主性、自立性を求め始めたために、地方分権改革の流れがおきて今に至っています。
 そして今、ねじれ国会と呼ばれた、国民を嘲笑うような政治体制も2013年の7月に実施された参議院選挙において解消され、中央集権体制から地方分権改革の最終段階ともいえる道州制を施行させる段階に急速に加速して進むのだろうと私は考えます。私が思うには、今の段階で進めている道州制という枠組みは高度経済成長の過程から、1995年に生産年齢人口のピークを迎え、それ以後は高齢化社会と生産年齢人口の減少に移りゆく中で、官僚自体も減少せざるえないことから、国と地方行政の経済合理性を追求し、一部の保守的な官僚の居場所という環境を守る為の施策に思えてなりません。しかし、我々はどんな理由にしろ、今後起こりえる、国からのあらゆる荒波にも先見の明で見事に乗りこなし、この地域を日本の地方として先駆けて生き抜かねばなりません。もちろん前提として、官と民という領域を取り払い、地方だからこそ身近な存在として手を取り合って舵を取り進むべきであると考えます。この地域においては、近年10年間で起きた社会体制の変革、未曾有の大災害を生き抜いた中で、総ての人が領域を超え、手を取り合うことが生き抜くためには最善だということを理解したのではないでしょうか。
 2004年7月23日に旧十日町市、川西町、中里村、松代町、松之山町の合併協定調印式が行われてから今年で10年を迎えます。まずは、平成の大合併がこの地域に何をもたらしたのでしょうか。産業・防災・観光・医療福祉に重点をおき、様々な分野での調査、分析の基、より良い未来を鑑みたうえで、地域が自立させられる国主導の社会変革の流れが来る前に、JAYCEEがリーダーシップをもって、この地域主導で対応できる街の未来を、地域の人々と直接向き合い明るい未来を示します。また、この地域において2004年10月23日の午後5時56分、新潟県中越地方を震源地とした「中越大震災」が発生しました。この地域において、最大震度は震度6強を観測し、この震災により死者も出る人的被害と居住家屋の全半壊は1200棟を超えました。さらに2011年7月にも、新潟・福島豪雨災害という今までに経験したことの無い、局地的な豪雨から死者および行方不明者も出る被害を受けました。この地域の災害に十日町JCは一ボランティアとして、またはボランティアセンターの運営側として関わった経験があります。我々十日町JCは、その経験を活かし、住民の幸せを基盤に考えたうえで、自然災害に対しての価値観の捉え方、防災・減災の在り方を、愛をもって地域の幸せの為により良い形を示さなければいけません。それには、十日町JCが一翼を担い、様々な組織と連携して災害に対応するより良い形を提案します。
 それらの運動をしてもさらに重要なことがあります。総ての人が幸せになる為に、正しい価値観を形成する教育です。
 日本は、明治維新後に西洋列強の脅威の中で独立を維持するため、西洋の文化を積極的に採り入れ、自国の近代化を推し進めました。そのうえで、近代国家の建設には人材の育成が急務であるとして、明治5年に学制を発布し、全国的に学校を設置して義務教育の制度を確立し、教育の普及に努めました。しかし、当時は文明開化の風潮により洋学が重んじられ、日本伝統の倫理道徳に関する教育が軽視される情勢にありました。このような実情に対し明治天皇は、徳育の振興が最も大切であるとされ、わが国の教育方針を明らかにするため明治23年10月30日、教育勅語を渙発(かんぱつ)されました。教育のよりどころとなるものが必要だと考えたのです。これは今の時代にも、必要なことだと考えます。人の知識の重要性が高まり、新しい情報・技術が政治・経済・文化をはじめ社会のあらゆる基盤となる「知識基盤社会」の時代であると言われています。このような知識基盤社会化は,アイディアや知識をもっている人材をめぐる国際競争を加速させる一方で、異なる文化や文明との共存や国際協力の必要性を求められており、国としてはそれに対応できる人材育成、教育施策を必須としています。そんな中、文部科学大臣の諮問(しもん)機関である中央教育審議会は、それを鑑みた「第2期教育振興基本計画」を2013年度から2017年度の国の教育政策の基本として閣議決定しました。そこでは、幼稚園から高校、大学まで一貫した課題で四つの基本的方向性が掲げられております。教育基本法に関連することは、学校教育のみに関わらず、家庭教育や社会教育も関係するはずなのに、国が打ち出す計画そのものを認知している人はどれくらいいるのでしょうか。知らないことを知ることから、まずは行動しましょう。もちろん知ってはいるが、無関心でもいけません。我々が未体験の教育制度に変わりつつある現状があります。国の政策にただ流されることなく、我々自身も教育分野に積極的に関わり、現状を把握した中で、この地域の変わることない「よりどころ」を我々が導くべきです。まずは、身近なことを知ることが重要です。先人の跡をかえりみて、過去から今につながった歴史を感じ取り、未来へ前向きに生き抜くことが出来る精神性を養うことが必要です。この地域の歴史・伝統・文化という全てのつながりを共有し、次世代が十日町市・津南町を一つの共同体として捉えて歩む為に、教育の「よりどころ」を時代が変わる前に「ひと・もの」につなげます。
 そして、何のための教育なのかを考えた時に日本人であり、この地域に住む人であることも忘れてはなりません。歴史認識から養われる道徳哲学をもって、幼児から青年に至る世代に地域独自の「生き抜く力」を宿す学びを青年がリーダーシップをもって普及させます。
 さらには、十日町JCが英知と勇気と情熱をもって、地域と共に歩み続けてきた言葉では伝えきれない伝統ある継続事業があります。これらは、本来の目的と事業を受け継いできた精神を正しく受け止め、地域がより幸せになる為にJAYCEEが導きます。継続できるものはより良い形で継続し、新たな方向性が見いだせれば、大幅な修正も必要です。「事業のための事業」とせず、地域がより幸せになる為に、受け継いできた総ての人に理解を求めたうえで運動を進めます。

【幸せな地域社会から真の世界平和へ】
 日本という国に身をおき、この地域の起こりえる未来を仮定して想像する。世界の総ての人々が幸せになる為に、世界の国々でグローバル化が進み、日本としてもその流れに合わせ道州制が施行され、この地域に財源のよりどころである、地方交付税と国庫金の現状施策を廃止されたとする。全ての権限は州に譲渡され、地域は独自に運営する為に施策、財源の大半を創り出さなければならないとする。それに伴い、TPP(環太平洋連携協定)の協定締結から海外諸国と対等に経済交流、競争していかなければ生き抜けない現状がある。我々JAYCEEは、そんな時代を想定して生き抜くために、来る大局をとらえ早急に備えます。
 青年会議所は、全世界127の地域にあり、どの青年会議所に入会しても、明るい豊かな社会の実現から恒久的な世界平和へ向けて、誰でも等しく以下の4つの機会が与えられます。

1.「個人の機会」(Leadership development)
 指導力開発・人間力開発の機会です。様々な研修プログラムや活動の中でリーダーとなるべく自己啓発の機会が与えられます。
2.「地域の機会」(Community development)
 社会開発・まちづくりの機会です。地域社会との関わりができ、社会奉仕活動をする機会が与えられます。
3.「国際の機会」(International)
 国際交流・国際貢献の機会です。JCI(国際青年会議所)のメンバーとして、世界会議やASPACなど、世界と関わる機会が与えられます。
4.「ビジネスの機会」(Business)
 経済活動・経営開発の機会です。人類の貧困と苦難をなくすために、日本全国、世界各国の志あるメンバーと出会うことができ、新しいビジネスの機会が与えられます。

 これらの青年会議所が与えてくれる機会を有効的に活用しよう。この地域のリーダーとなるべき一人一人が様々な体験から学び、人と向き合い同志となり、リーダーシップをもってこの地域がむかえるであろう荒波を乗り切る舵取りが必要となる時代がきます。我々JAYCEEが日本を先導し、世界から望まれる地域を目指そうではないか。そして、青年会議所は世界とつながる機会もあります。国際の機会という民間外交を積極的に活用します。2014年はASPAC(アジアパシフィックエリアコンファレンス)という、アジア圏の22か国が集まり、国際交流を基に、個人成長の機会、ビジネスの機会が与えられた大会が山形県であります。この身近な場所で開催されることに感謝をして、積極的に参加し、この地域がより良くなるように、様々な国際の機会に能動的に参加します。
 さらに十日町市においては、地場産業の一つである絹織物を仲立ちにして、1975年2月27日にイタリア北部に位置する商業の中心ミラノからほど近い、ヨーロッパ屈指の伝統あるリゾート地、コモ市と姉妹都市関係を締結し、今も友好的な交流が続いております。我々は、青年会議所の機会と、先人から受継がれたものを糧として、絹織物に関わらず様々な産業の活性化も模索し、より幸せになる為に、活かせるものは総てつなげようではないか。青年会議所が与えてくれる全ての機会を用いて、生き抜く為の新たな機会を創り、この地域に行ってみたい!住みたい!と感じてもらえる幸福度の高い、日本一の地域ブランド「越後妻有」を目指し世界に発信します。

【結びに】
 この地域が幸せになる為に、青年会議所は存在します。
 十日町JCは、創設から57年の長きに亘って、この地域を明るい豊かな社会にすべく、英知と勇気と情熱をもって先人から受継がれてきました。どんな時代背景におかれようとも、決して組織の目的は変わりません。来るべき60周年へ向けて、総ての幸せを願い、より良い運動、活動がつなげられるように組織運営の在り方を検討し、未来へ示します。
 そして、青年会議所の100年先の未来を考えた時に、夢に描くことがあります。この地域の20歳から40歳の総ての青年が所属し、どんな難局にも地域社会の幸せの為に、愛をもって志を立て、熱い気概で邁進しているJAYCEEを。そんな夢を見ながら、若い我らは手を取り合い、足なみそろえて行こうじゃないか。

執行部メンバー
直前理事長 涌井 紀秀 有限会社涌井工業
副理事長  樋熊 要  株式会社谷内製材
副理事長  馬場 大和 十日町タクシー株式会社
副理事長  長井 貴志 長秀鉄工
専務理事  長谷川吉徳 株式会社長谷川砂利

〒948-0088 新潟県十日町市駅通り17番地 十日町商工会議所内
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